『7つの習慣』から協働のあり方を考える -4-

しばらく、協働の「原則論的アプローチ」について、
『7つの習慣』をテキストに使用したいと考えています。

今回取り上げるのは、相互依存(協働)の土台となる、
「信頼残高」というお話を取り上げます。

この「信頼残高」が相互依存のパラダイムの中心となります。

信頼残高とは、『7つの習慣』では、

「ある関係において築かれた信頼のレベルを表す比喩表現であり、
 言い換えれば、その人に接する安心感だといえるだろう」

と説明されています。
この信頼残高が高くないと、望ましい協働のステージに立てない、
ということです。

お互いに不信してたら、協働というよりは腹の探りあいが主になるし、
Win-WInには程遠いよねという、ある意味当たり前のお話です
(でも、実際には重んじられていないお話でもあります)

では、信頼残高を高くする(預け入れる)には、
どうしたらいいのか?

コヴィー博士は、その方法を6つ紹介しています。

(1)相手を理解する
(2)小さなことを大切にする
(3)約束を守る
(4)期待を明確にする
(5)誠実さを示す
(6)引き出しをしてしまったときは、誠意をもって謝る

「何を当たり前のことを」と思うでしょうが、
同時に、実際はほとんど実行されていないことでもあります。

(1)「相手を理解する」というのは、本当に難しいですよね。

「相手の関心事やニーズに合っていなければ、
 預け入れをしたつもりでも引き出しになることさえある。」

「相手のことを大切に思うのであれば、
 相手にとって大切なことを、あなたも大切に思う必要がある」

「一般的な傾向として、人は自叙伝に照らしてみて、
 自分は他人のニーズや欲求が分かっていると思い込むことが多い。
 つまり、他人の行動を自分の考えやパラダイムを通して解釈するのだ」

とコヴィー博士もいうように、
相手のことを理解しているようで、
実は自分の考えベースで理解したつもりになってる。

まぁ、

「相手が大切に思うものを、なるだけ先入観とか正義感を拝して、
 なるべく自分で受け入れるよう努力する」ということになるでしょう。

NPOとかで活動してる人は、往々にして社会的弱者に対しては、
相手を理解するように努力する傾向が強いです。
(それでも、自分の考えやパラダイムが入り込みやすい)

ただ、行政とか国とか、あるいは企業に対しては、
はなから相手を理解する気ゼロというパターンが多いですね。
むしろ「こいつらは我々の敵だ!」くらいのオーラを出してる人も多い。

「こいつらは我々の敵だ!」くらいに思ってるから、
相手を理解しようなんて気もさらさらない。

一方的に要望を叩きつけて、それを実現させるのが「協働」と思ってる。
そんなケースも多いのではないでしょうか?
ま、最近は、そうしたケースも減っているのではないかと思いますが。

あとは、協働において、よく「行政の論理」につまづきがちになります。
やたらと提出書類が多い、縦割りでいちいち交渉がめんどい、とか…

でも、「相手にとって大切なことを、あなたも大切に思う必要がある」のです。

あと、個別差はありますが、
最近は行政側も市民活動団体とかNPO側を理解しようと歩み寄っているケースが、
多いですよね。
そうした双方の努力が、今後はますます重要になってくるのでしょう。

戦略的な「企業との協働」「団体同士の協働」については、
今後さらに事例が出てくることを願っています。
その際にも、相手を理解する努力が大切になります。

(2)の「小さなことを大切にする」。
これも難しい。

おもてなし、ホスピタリティでは、
「おっ」と思わせる、小さな気配りがどれだけできるか、
という話になってきます。

ただ、個人的には、
信頼残高が低い状態(互いに面識がない、など)では、
逆に「小さなことで相手をつまずかせない」ことのほうが、
はるかに大切だろうと思います。

寝ぐせがたってないかとか、服装がTPOにあっているかとか、
要は一般常識とかマナーとかいわれるやつですね。

この点で、NPO業界の面々は、
つまずかれてしまってるケースが多いようです。

(4)の「期待を明確にする」。
これは非常に重要で、かつ見落とされがち。

協働するときに、互いに何を期待しているのか。
それを明確にしていかないと、
協働しても互いに「こんなはずじゃなかった」で終わりがち。

行政との協働であれば、
往々にしてNPO側は、

「行政と提携して信頼性もあがったんだから、もっと人が来るだろう」

なんて思いがち。
この場合、NPO側が期待していることは「人を集めたい」。
それを行政側に伝えないで提携しても、裏切られた感が出てくるでしょう。

ま、協働することで「お互いに何のメリットがあるか」を、
率直に互いに意見をさらすべき、ということですね。

(5)の「誠実さを示す」は、
「人によって態度をコロコロ変えない」という理解でよいのでは?

これは、多くの人がやりがち。
担当者(役職者)への態度と、そうでないヒラとの態度がぜんぜん違うとか、
担当者を待っている間に、悪口言ってたりとか…

こうした態度は、思う以上にすぐに情報が共有されてしまいがちです。

(6)「引き出しをしてしまったときは、誠意をもって謝る」は重要ですね。
特に約束を破ったら、本当に誠意を持って謝らないといけない。
同じタイプの引き出し(約束破りなど)を繰り返すのは論外。

重要なんだけれど、自分が相手より立場が上だと思っていると、
なかなかできなかったりします。

まぁ、間違いそのものは誰にでもあるので、
間違い自体が問題ではないのですが、
ここで重要なのは、そのときの誠意。

明らかに「とりあえずこの場を切り抜けられればそれでいい」
という思いがひしひしと伝わってくる謝り方とかね。
(行動の改善も伝えずに、ただ「ごめんなさい」を繰り返すとか)

この手の人は、「怒らせてしまったその人自体」に謝ってるのですが、
どちらかというと「引き出した行為、現象」を謝って、改善する旨伝えるのが、
誠意ある謝罪と伝わることが多いように見受けられます。

あとは「謝ったらその時点で負け」と思ってるとか。

まぁ、アメリカ訴訟社会みたく、謝ることで明らかに法律的に不利になるのであれば、
その辺は慎重になったらいいと思いますが、
ここでは、どちらかというと、そこまでの段階になる以前のあり方を考えてます。
要は、プライドの問題をここでは取り上げています。

「世界を変える」より、一人の人に全身を捧げるほうが大変

コヴィー博士は、ダグ・ハマーショルド元国連事務総長の次の名言を紹介しています。

 「大衆の救いのために勤勉に働くより、
  ひとりの人のために全身を捧げる方が気高いのである」

コヴィー博士は、これを次のように解釈します。

「多くの仕事やプロジェクトを進めるよりも、
 そのひとりの人間との関係(自分の夫や妻、子ども、最も身近な同僚など)を
 修復することのほうが、より高潔な人格(謙虚さ・勇気・力)が要求される」

本当にそうですよね。
日本のサラリーマンは、この言葉を聞くと、
ホントにそうだなぁ、と感じるのではないでしょうか。
NPO業界でも「世界の平和、家庭の不和」という言葉もありますしね。

日本では、妻や子どもを犠牲にして大義を果たすことが、
ひょっとしたら美談ととらえられるかもしれないので、
ダグ・ハマーショルド元国連事務総長の言葉への反発が強いかもしれません。

では、こう解釈してはどうでしょうか。

<

em>「社会的弱者のために活動するよりも、
 一人のスタッフとの関係を強化することのほうがより高潔な人格が求められる。
 そして、この関係強化によって、より多様な活動ができるようになる契機が与えられる」

組織内の多様性の受容も、「協働」のうちです。

最後に、コヴィー博士のコメントを紹介。

「人格という土台抜きにして、
 交渉術や傾聴法、あるいは創造的な問題解決法などの、
 表面的なテクニックに集中するだけでは、公的成功を達成することはできない。」

次回は、第4の習慣「Win-Winを考える」を取り上げます。

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