「近江商人=社会起業家」という考え方について -2-

これまで「近江商人=社会起業家」という考え方をする人の、
その考え方の背景について、考えてみました。

その際、次の3つの考え方を紹介し、(3)の問題点を指摘しました。

(1)「正当な利益」を求めて商売する人は、即ち社会起業家
(2)「正当な利益」を求めて商売し、かつ善事を行う人が社会起業家
※善事については、陽徳、陰徳は問わない
(3)「正当な利益」を求めて商売し、かつ陰徳善事を行う人こそ、社会起業家

今回は、以前の記事とは違った観点で、

「正当な利益」という考え方自体を、
掘り下げてみたいと思います。

「正当な利益」というとき、ともすると
「どうお金を稼いだらいいのか」という、お金に対するマインドの話か、
コンプライアンスの話と考えがちです。

しかし、

「ここには、勤勉な人生を前提にして、
 まっとうに勤勉に働けば収入の不足のため生活に苦労することはなく、
 勤勉の結果として得えた利益こそが、
 誰はばかることのない真の利益であるという考え方が示されている。」
(『近江商人学入門 -CSRの源流「三方よし」-(末永國紀著)』P70)

からも分かるように、
「正当な利益」で言いたいのは、勤勉という「働き方」が大切だ
というほうが、より強いメッセージだということが分かります。

江戸時代当時、勤勉な働き方は商人のみに問われていたのではなく、
農民を含む社会全体にて問われていました。

前の記事で、近江商人とマックス=ウェーバーの比較を取り上げましたが、
日本では、産業革命とは別の形で、労働革命がありました。
それは「勤勉革命」と呼ばれます。

産業革命が、資本集約型の経済を発展させ、
労働生産性が世界一の水準になったのに対し、

勤勉革命は労働集約型の経済を発展させ、
土地生産性が世界一の水準になりました。

土地生産性が向上した、ということは、
二毛作や棚田のように、限られた農地で最大限に収量を上げる技術が発達したということです。
そのことは、長時間労働が日常化したということでもあります。

そのエネルギーになったのは、
農村の中で時間と空間を共有し、
家族や同胞のために限りなく働く勤勉の倫理だったといわれます。

この勤勉革命は、明治以降現代まで、企業文化として引き継がれています。

ここまで書くと、

企業のありかたに「正当な利益」を求める一員に、
挫折しそうである勤勉革命への揺り戻し、勤勉復古があるのかなと、
容易に想像できます。

なぜ勤勉革命が挫折しそうなのかといえば……

・単純作業は外国にアウトソーシングした方が安いという現実
・ITスキル等の劇的な変化により、これまでのスキルでは通用しないという、
労働市場のミスマッチという現実
・まっとうに勤勉に働いても、生活に苦労する現実
・勤勉の結果以外の要因(円高など)で収益が上がらない現実

こうした現実の前に、勤勉倫理の見直しが迫られているといえます。

個人的に、どうも社会的企業を含む「あるべき企業の姿」の一環として、
勤勉復古が求められているように思えます。

「まじめに仕事し、できれば地域の方と仲良くしながらやっていけば、
生活に苦労することなく、幸せに過ごせる働き方」

こうした働き方を提供する企業が理想だ、というわけです。

ただ、勤勉革命の前提は、鎖国という閉じた社会であったように、
勤勉復古をやろうと思うと、いかに鎖国状態に近づけるか、が問われるでしょう。
果たして、それが可能なのか。

答えは、誰にも分からないですが(これが答えだ、という人は多いですが)、
個人的には、従来型の勤勉復古は、難しいのだろうと思います。

おそらく、社会起業家を含む今後の企業には、
それぞれの体質にあった「働き方革命」が問われるだろうな、と思います。
そして、それが各企業のウリになる、んじゃないかと。

企業Aは「我が社は、絶対に社員をリストラしません!(その代わり長時間残業はよろしく)」
企業Bは「我が社は、必要に応じてリストラするけど、一定の退職金は払い、世界に通用する社員を育成します!」
企業Cは「我が社は、ワークライフバランスをどこよりも重視します!」

といった流れに、今後はなっていくでしょうね。

………
……

次回からは、近江商人の「三方良し」のうち、「世間良し」について、
現代流に再定義したいと思います。

そのキーワードは、「CSV」です!

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