近江商人の商人道を考える -5-

さて、今回は前回に引き続き、
近江商人の経営理念「陰徳善事」という考え方について、
陥りやすい問題点を掘り下げたいと思います。

その問題点は、以下の2点です。

(1)「徳を積む」という考え方には、「顧客」という観点が抜けやすい
(2)「陰徳」という考え方には、「情報開示」「説明責任」がない

「情報開示」「説明責任」は何のため?

今回は、(2)の観点である、

「陰徳」という考え方には、「情報開示」「説明責任」がない
という点を考えていきましょう。

まず考えてみたいのは、
なぜ「情報開示」「説明責任」が必要か、という点。
皆さまは、どう思いますか?

組織側(情報開示する側)からすれば「その方が信用、信頼される、納得してもらえる」
顧客側(情報開示される側)からすれば、「その方が信用、信頼できる、納得できる」

という答えが、多いんじゃないかな、と思います。
「信用」が一つのキーワードになりそうです。

では、なぜ「情報開示」「説明責任」が信用につながるのか?

個人的には、「情報開示」「説明責任」が、

「市場の裁きに身をゆだねる、あるいは正々堂々打って出る行為」
であるからだと考えています。

ちなみに市場(いちば)じゃなくて市場(しじょう)です。

市場の裁き、というとかっこよさげですが、
世論、とも言い換えてもいいです。

商取引の場合、市場の裁きは「買わない」という形で現れます。
非常に厳しく、かつ分かりやすく、大勢にとって納得がしやすい。

「俺の作ったモノが売れないだとぉ! な、なぜだ!」

と嘆いてみても、仕方がありません。
裁きは下されたのです。

その裁きを通して、自分をふりかえる。
問題は広報なのか、商品なのか、それとも競合なのか……
試行錯誤を通して、初めて市場に受け入れられる。

今や、市場の裁きは、
かつての神の裁き以上の力を持っているといえます。
言い換えれば、今や市場は、
かつての神のような権威を持っていることになる。

そして、かつては多くの人が神を信頼し、それ以上に恐れたように、
今は多くの人が市場を信頼し、それ以上に恐れている。

商取引でない行為(政治、行政、ボランティア等)が、
この「市場の裁き」に委ねるための行為が、
情報開示であり、説明責任です。

これに対して、陰徳善事は、
この市場の裁きと同じフィールドには立ちません。

だって、「自分はこんな理由で、こんなことをしてるんだ!」と
情報開示すると、すでに陰徳じゃないですからね。

「市場の裁きに身をゆだねる」ことを良しとする(信用できる)社会で、
陰徳善事という、それに逆行する動きは、良しとはされません。

「いや、間違っているのは私じゃなくて市場(世論)の方だ!」

ということも、もちろん多くあります。

経済市場であれば、バブルがはじけたり、サブプライムが暴落します。
もっと一般的な世論であれば、原則的に少数者は排除されがちです。

ただ、それに対して正々堂々打って出るためには、
情報公開と説明責任という、市場の論理が問われることになります。

「情報公開」と「説明責任」の違いって?

余談ですが、ここで
「情報公開」と「説明責任」を分けているのは、
両者の求められていることが違うからです。

「情報公開」というと、文字通り、
情報を包み隠さず公表することです。

組織側(情報公開側)の役割は、「情報を包み隠さず公表する」ことだけです。
その情報をどう受け止め、活用するかは、顧客側(情報の受け手側)に、
全て委ねられています。

それに対して「説明責任」は、
情報を包み隠さず公表するという以上に、
その情報に対して、顧客側が、

「論理的にも心情的にも納得する」ことが求められる、という点です。

NPOの会計を例にとれば、

・情報開示:会計情報(収支計算書・貸借対照表・財産目録、帳簿類等)を、
ホームページとかに公開する

・説明責任:会計情報に対して、顧客が納得がいくよう説明する

(例)「人件費が高すぎなんじゃね?」「もっと収入が多いはずじゃね?」

となると、「説明責任」というよりは「納得責任」といった方が、
ニュアンスとしては正しいんじゃないかと。

「説明責任」というと、イコール情報公開を連想しがちですが、
そうではなく、それ以上に顧客に納得してもらう責任である。

そう考えると、説明責任のポイント、およびその難しさが見えてきます。

<説明責任のポイント>

(1)顧客に合わせて情報の伝え方を変える

顧客が、専門用語が分かる人(同業者など)なら、
専門用語をそのまま伝えても問題ないでしょう。

一方、専門用語なんて分からない人に対しては、
それをかみ砕いて説明する必要があります。

(2)自分たちにとっての「評価基準」を明確にする

説明責任を問われるときは、いつも

「なぜ、○○をしたんですか?」と聞かれます。

それに対し、

「私たちは、××を優先にして行動しているからです」

と答えられる評価基準を、
事前に明確にしておくことが問われます。

事前に明確にした評価基準があり、
その基準とブレのない範囲での行動であれば、
意志決定については、
一定の説明責任は果たしているとはいえます。

(3)どうすれば、相手が納得するかを見極める

不祥事を例にとって説明します。
(というより、説明責任を問われるときは、大抵不祥事ですが)

日本の場合では、「まずは誠心誠意謝ってもらわないと納得しない」
というケースが多いです。
一方で、「謝罪には意味はない。要は損害補償」という人もいます。

そこを見極めた上での納得責任を果たす必要があります。

ちなみに、「自分たちの都合」をふりかざしても、
ほぼ相手は納得しません。
たいてい、火に油を注ぐだけです。
とはいえ、精神的に追い詰められると、そうなってしまうのも、
また人のサガなんですけどね。

<説明責任の難しさ>

(1)評価基準などで「価値観の違い」があると、納得してもらうのは難しい

たとえば、NPO会計で「人件費が高すぎなんじゃね?」という人には

・NPOの人間は、カネが欲しくて働いているわけではない。
手取り15万円くらいが妥当だ。
それ以上のお金は、事業費や寄付金に回すべきだ

・朝から深夜まで働いている、
正社員の自分の手取りが20万くらいなのに、
NPOの人間が、同等の手取りというのは理不尽だ

といった価値観があるとします。
そうなると、納得してもらうことが、非常に難しくなります。

個人的には、この場合納得責任は完全には果たせないし、
それは仕方がないと思っています。

皆さまは、いかがでしょうか?

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