近江商人の商人道を考える -3-

さて、今回は前回に引き続き、
近江商人の経営理念を紹介していきます。

今回取り上げるのは「陰徳善事」という考え方。

前回の「正当な利益」という考え方は、
CSRの「経済的責任」「法的責任」「倫理的責任」の
はしりとなる考え方だといえます。

それに対して、「陰徳善事」は、
 CSRの「フィランソロピー的責任」のはしりとなる考え方だ、といえそうです。

「陰徳善事」の行動としては、
多額の寄付がメインで、あとは雇用の創出だったりします。

重要なのは、

(1)近江商人はなぜ「陰徳善事」を行うのか?
(2)なぜ、善事を公開してはいけないのか?

という点ですよね。

まず、(1)の点について。

ここは、『近江商人学入門 -CSRの源流「三方よし」-(末永國紀著)』から、
引用してみましょう。

・初代源左衛門良祐という人が、富豪への秘訣を述べた遺言というべき
「金持商人一枚起請文」によると……

・金持ちにも二種類ある。
「普通の金持ち」と一国を代表するような「長者と呼ばれる金持ち」である。

・普通の金持ちになれるかどうかは、運ではない。
酒宴、遊興、贅沢に打ち勝つための禁欲を守り、
長寿、始末、勤勉を心がけるような善人であれば、
誰でも普通の金持ちになれる。

しかしながら、一国を代表するような金持ちになるためには、
一代では無理であり、
二代目、三代目と普通の金持ちを目指すような
善人に恵まれなければ、とうてい不可能である。(P72)

・善人の子孫に連続して恵まれるかどうかは、もはや運である。
子孫に善人を得る運に恵まれるためには、
陰徳善事を行いながら祈るしかないというのである。

・陰徳善事は、よるべなき運をたぐり寄せ、
善人の子孫を得るための唯一の方法として提示されている。

・そのためには、始末と吝(しわ)いの違いを心得ておかないといけない。
吝(しわ)いとは、「ケチ」の意味

正当な利益を社会奉仕のために散財する陰徳善事は、
結果としては、生きた金を使うという意味では始末に通じることであり、
守銭奴のように目先の損得にとらわれて、出し惜しみしてはならないと諭している(P73)

とりあえず、

「禁欲を守って勤勉な善人であれば、
誰でも金持ちになれるんなら苦労はしねえよ」

というツッコミは、おいておきましょう。
ポイントは、そこではないので。

ポイントは、

陰徳善事 → 子孫が善人になる → 店の永続的な繁栄

という流れ。

言い換えれば、陰徳善事の最終的な目的は、
「店(会社)の永続的な繁栄」にあるということになります。

余談ですが、近江商人は陰徳善事に限らず、
店の永続的な繁栄のためには、

贅沢におぼれた無能な主人(社長)を、
その親族たちが追い出すこともいとわないです。
(これを「押込隠居」といいます)

では、なぜ陰徳善事で子孫が善人になるのか?
(2)の点とからめて、考えてみましょう。

一般的に、「陰徳」に対して「陽徳」があり、
「陰徳」は、人知れず行われ陰に隠れた徳
(誰にも知られず、感謝されたり、ほめられたりしない徳)で、

「陽徳」は、その行いが人々に知られて「ありがとう」「素晴らしい」と
賞賛される徳のことを指します。

陽徳は、徳を施した人たちに「ありがとう」と言われておしまいですが、
陰徳は、その行いが、「天」に記憶される。

まぁ、この「天」を「お天道様」とか「神様」とか、
各人各人で言い換えたらいいと思います。

陰徳善事は、「天に宝を積む」行為だ、ということがいえます。

こうしてみると、

「陽徳」は、善事の現金払い(すぐに「感謝」という形の報酬が返ってくる)で、
「陰徳」は、善事の定期貯蓄(一定以上善事をためると、利子付きで報酬が「幸運」という形で返ってくる)
ともいえそうです。

さらにいえば、徳を積む行為にも2タイプあって、

「よっしゃ、徳を積んでやるぞ~! そして、天に宝を積むぞ~!」

と、自我意識を持って、あるいは報いを期待して
徳を積む行為が「下徳」。

そうではなく、心の赴くまま、自然に、報いなんて気にせず生きてたら、
いつのまにか善事をおこなってましたぁ、といった形で、
徳を積む行為が「上徳」。

どちらかというと、近江商人は「下徳」だったのかなと思います。

さて、ここまで、近江商人の商人道についてふれてきました。

よく「日本企業は、近江商人の商人道に立ち返らないといけない」
なんて言われます。

個人的にも、おそらくそれが「この国の商人道のかたち」として、
一つの理想型なのだろうと、思います。

たとえば、一般的なCSRの考え方に比べて、
近江商人の考え方に「法令遵守」を強調したものはありません。

だからといって、近江商人が法を破り放題だったわけではなく、
そんなもんは、書くまでもない。
倫理的責任を果たしていれば、自ずと法令も遵守するのが当たり前。
そんな感じだったんじゃないかな、と思うのです。

日本で、コンプライアンス(法令遵守)が最近まで強く言われなかったのも、
そうした背景あってのことでしょう。

逆に言えば、コンプライアンス違反が増加し、
かつグローバル化の中で、コンプライアンスが求められているからこそ、

「別にいいじゃん、そんなの。だって、近江商人はね……」

という文脈で、近江商人の商人道が見直されている、
ということもできます。

ただし、「近江商人=社会起業家」なのかというと、
そんなこともないでしょう、というのが私の考えです。

なぜ、「近江商人=社会起業家」とはいえないかについて、
次回は、「陰徳善事」について掘り下げながら、考えていきます。

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