「ためまっぷプロジェクト」清水代表インタビュー 1

以前紹介した「ためまっぷプロジェクト」
クラウドファンディングサイト「READYFOR?」での
クラウドファンディングにて、
見事、130万円もの寄付を集めることに成功しました。

tamemap1

https://readyfor.jp/projects/tamemap/

「クラウドファンディングで寄付集め」

といえば、
今までにない手法で、簡単に寄付が集まるイメージが、
ひょっとしたらあるかもしれません。

以下の資料によると、
 データが古いですが、2013年5月13日時点で、
 READYFOR?は掲載されたプロジェクトの66%が達成した様子。

“「クラウドファンディング学習会」トークセッション レポート”
http://epohok.jp/news/index.php?page=article&storyid=158

ただ、どう考えても、
 プロジェクトを始めたら、
 自動的にどこからか寄付が集まる、
 なんてわけはない。

「クラウドファンディング成功の秘訣は何か?」

ネット上でもいろいろな成功法則がまとまっていますが、
実際にクラウドファンディングに成功した人に、
色々とお話を伺うほうが、エキサイティングですよね。

そんなわけで、
「ためまっぷプロジェクト」の清水義弘代表に、
 いろいろとお話を伺ってきました。

カウントダウンイベント時の清水代表

カウントダウンイベント時の清水代表

「ためまっぷプロジェクト」に至るまでの物語、
クラウドファンディングを始めようと思った理由、
クラウドファンディングに際しての戦略や意識したこと……etc

 第1回は、
 清水代表が「ためまっぷプロジェクト」に至るまでの、
 物語についてです。

かなり熱い物語です。

SEとしてアメリカに渡った際に9・11を見た

-清水代表は、「ためまっぷプロジェクト」を始める前は、
 長年SE(システムエンジニア)として、活躍されたとのことですが、
 SE時代は、どのような仕事、生活だったのですか?

活躍はしていません。
学校を卒業してから、すぐにIT業界に入ったわけではありません。

見えない法律に違和感があり法学部に、
卒業後は司法試験の勉強を少しやりましたが、
結局挫折しました。

その後、理系の親の影響と、
人の曖昧な判断で裁かれない社会を
コンピューターで作れないのかと考え始めていて、
飛び込み営業で自分の適性を探りながら、
IT業界に入ることができました。

-「ためまっぷプロジェクト」を企画したくらいですから、
 やはりシステム開発系の仕事に携わっていたのですか?

そうですね。CとかC++とかJAVA(※1)を使って、
システム開発を行っていました。

(※1)いずれも、コンピュータ言語。

最初の会社は、入って数年で経営が傾いてしまい、
そのあとはしばらく、フリーランスで、
数社程度常駐して働いていました。

そうしているうちに、

「海外で働いてキャリア・アップしたい!」
という欲もありまして、

そんなときに、海外の日系企業での案件がありましたので、
根拠のない不思議な自信で応募してみると、
なんと通ることができました。
アメリカ、ニューヨークです。

ニューヨークには、
1年半ほどいてたくさんの出会いがありましたが、
ニューヨークに移って1ヶ月ほどして、
非常に衝撃的な事件がありました。

-それは、どのような事件だったのですか?

 9・11です。

-それは、確かに衝撃的でしたね……

ある朝仕事場に着くと、ビルから煙が出ているわけですよ。
すぐに犯人はわからなかったので
人種差別も起こるだろうという話しも出ていました。

数ヶ月PTSDになりましたし、
その時の日本からの安否確認の連絡はとても嬉しかったです。

その後も仕事を続けて、日本食レストランバーに通い、
倒壊現場をボランティアで復興するアメリカ人と話をしたり、
仲良くしてもらいました。

ただ、9・11を前後して、
アメリカに住んで肌で感じたのは、
やっぱり、極端な貧富の差でした。

貧しい人は、働き盛りなのに職もなく
昼間に町中で働く人たちを道路のわきから羨ましそうに見つめている。
そのすぐ近くの家には、豪華なプールがある。

個人的には、その人たちを見て、
子供や親が瀕死になっても病院に連れて行くお金もなくて、
誰も助けてくれないような、こんなに格差が激しかったら、
そりゃ、テロだって起こるんじゃない?
そんなことを思っていました。

一方で、芸術や芸能に夢を掛けて渡米した日本の若者たちがいる。
でも成功する人は一握りで、
不安と隣り合わせの日々をお互いが支えあって強く生きている。
涙が出ました。

現地で知り合った方から、
日本人母子でお金がなくて困っている人の支援の話しがあり、
2週間ほど部屋を提供したことがありました。
迷惑を掛けないようにと気遣いながらも懸命に暮らしています。

-慣れない生活の中で、一人で生活するというのは、
 大変ではなかったですか?

職場は日系企業でしたので、
仕事面では、日本とあまり変わりませんでした。

ただ、買い物などは大変でしたね。
日常品ならともかく、
家電の取り付けとか、ドライバーライセンス取得とか、
バスの乗り降りとか……

「近いうちに遊びに行くよ」と言っていた、
日本にいた友達も、
9・11後は、やっぱり来たがりませんでした。

そんな中で、それでも日本から来てくれた女性と、
ニューヨークで結婚して、生活し始めました。

育児孤立、そして3・11

-ニューヨークの後は、日本に戻られたのですか?

妻が、結局アメリカの生活になじめなくて、
日本に帰りたいと言い出しました。

私の仕事面でも、仕事も一区切りついて、
契約的にもちょうど区切りだったので、
日本に戻ることにしました。

日本に戻ったら、
以前の会社時代の知り合いが起業するというので、
私もそこに加わって、数人で起業しました。

起業ということもあって、
最初の数年は、ほとんど会社にかんづめでした。

そんな中で子どもが生まれたのですが、
妻も、諸事情あって育児に専念できる状態ではなく、
家族の支援もあまりなく、近所づきあいもあまりない。

-まさに、「ためまっぷプロジェクト」紹介文で
 何度も登場する、「孤立」状態ですね。

そうですね。

ただ、そのときは「孤立」とか気づかず、それが当たり前で、
とにかく「自分がなんとかしなきゃ」という思いで、
やっていました。

そんな状態だったからだとは思いますが、
年金問題が話題になったときには、
世代間格差の問題には、関心をもっていました。

そうこうしていると、会社のお客様のつながりから、
地元の青年会議所(JC)への誘いがありました。
会費は塾の月謝並みですが、
世の中を知りたいと気になっていましたので、
まずは見学から参加させていただくことにしました。

JCとの関わりの中で、
野球球団の後援会、ライオンズクラブなど、
市民活動、地域活動をしている人と出会い、
イデオロギーはいろいろありますが、
たくさんの素晴らしい仲間に出会うことができました。

また「こんな近くにこういう活動をしている人たちがいたんだ」と、
気づかされました。

そして、JCに入ってしばらくして、
非常に衝撃的な事件がありました。

-それは、どのような事件だったのですか?

3・11です。

-確かに衝撃的でしたね…… 

 被災者以外でも、
 「3・11」が人生の転機になったという人は多いですが、
 清水代表の場合、9・11、3・11ともに、
 人生の転機になったのですね。

3・11後に、JCに、
その前にあった新潟の大地震での震災ボランティアをされた方がいて、
その方から、

「現地に行かないとわからないことがある」

と言われたのもあって、
会社を1週間休んで、震災ボランティアに出かけました。

-震災ボランティアでは、どのようなことをされたのですか?

気仙沼の小学校体育館に、50人程度避難していたのですが、
そうした避難者の生活支援を行っていました。

朝5時に起きて、夜0時、1時まででしたので、
非常にハードではありました。
-震災ボランティアで印象に残ったことはありますか?

支援期間後半の朝ご飯の時に、避難者の方々が、

「たくさん支援してもらったから、
生活が落ち着いたら、皆さんに何かお礼をしないとねぇ」

と言われたときに、

「なぜ、突然多くを失った今の極限環境の中で、
人のことを思いやれるのか?」

と、非常に印象に残りました。
ボランティアから戻ると、
周りのみんなは、相変わらず、
自分のことにきゅうきゅうとしている。

「何か、違うんじゃないか」という思いは、
その時、確かに感じました。

広島に戻って、ためまっぷに至るまで

-SEとしての仕事は、主に東京、千葉であったとのことですが、
 なぜ広島に戻られたのですか?

理由は2つあって、

一つは、妻や妻の家族との育児トラブルによる離婚。

もう一つは、父親の実家が広島なのですが、
父親から「帰ってきて欲しい」と言われたからです。
広島に戻ったあと、
父親の今後のことや、これまで色々感じたこともあって、
介護や地域の現場でSEの経験を生かした仕事を
したいと考えるようになりました。

そんな中、ハローワークにて、
介護系の企業やNPOが集まっての説明会があり、
そこに参加しました。

その中で、一番心にぐさりと刺さったのが、
NPO法人「もちもちの木」(竹中庸子代表)のプレゼンでした。

介護説明会のプレゼンで、いきなり、

「あなたは、死ぬ時にどうなっていたいですか?」
「あなたは、20年後の人口構成の中で、
 社会はどうなると思いますか?」

といった話が始まったときは、
正直、驚かされました。

-それは、確かに驚きですね……

しかし、これまで色々と感じてきたことと、
ぴったりと整合するところもあり、

「もちもちの木」のお手伝いを、
することになりました。
竹中代表は、地域の子どもから高齢者まで、
多世代の交流を推進していました。

そんな中、そのつながりで、
「さくら洋裁」という、
高齢者の方々が行っている洋裁グループと出会いました。

-「さくら洋裁」といえば、
 「ためまっぷプロジェクト」のギフトの中に名前がありましたね。

そうですね。

ギフトの写真を見ていただければ分かると思いますが、
素人洋裁ではなく、プロの洋裁グループです。

せっかくなので、これまでの経験を生かして、
インターネットでの商品販売を手伝おうとしていたのですが、
店舗が維持できなくなってしまいました。

現在は、店舗ではなく、
洋裁教室として、公民館のような施設で活動されています。

「さくら洋裁」の方々は、本当にいい人で、
被爆者ということもあり、身よりのない人も多い。
時代に巻き込まれたけど人のせいにせず懸命に生きてこられた。

 こうした人たちが、もっといろいろな形で、
 地域や、あるいは子どもたちと、
 もっと関わりを持てるようになったら、
 どんなにいいだろうか。

そんなことを思っていました。

 子どもたちは子どもたちで、
 地域との関わりが、本当に希薄になっている。

私も、子どもをどこに遊びに連れて行くか、
非常に迷ったものです。

会社時代の同僚や同世代たちは、
子どもによい体験をさせたがっていますが、
行くとしても有料のプレイスポットや観光地、
終いにはジャスコめぐり。

また、同僚たち自身も、
地域、というより、人とあまり接点がない。
IT企業でも、サラリーマンは全般的に、そういう人が多い。
では、どうやって、
「さくら洋裁」の方々のような人と、
地域の方々、地域の子どもたちと、
接点を持たせることができるのか?

ホームページを作っても、
この手の情報を、人が積極的にアクセスすることはない。

FacebookなどのSNSネットワーク、といっても、
新規にネットワークを広げるのは、
高齢者には大変。

何より、高齢者がITを使いこなすのは、
ハードルが高い。

-それで、「ためまっぷプロジェクト」になるのですね。

その前に至った結論は、

「まずは、チラシから始めるしかない」

PCが使えなくても、
手書きで、上手なチラシを作ることはできる。

それで、ある日、
まちづくり市民交流プラザに行ったときに、
興味深いイベントのチラシが、壁に張ってあったんです。

「とりあえず、スマホで写真撮って、
あとで概要くらいは読めるだろう」

と思って写真撮ったら、
細部まで、全部読めるんですよね。

「これをシステム化すれば、
 PCが使えない高齢者と、
 地域で孤立する家庭、子どもとのつながりを、
 持てるようになるのではないか?」

と思ってはじめたのが、
「ためまっぷプロジェクト」のコンセプトです。

クラウドファンディングを始める前から、
このコンセプトに賛同してくれる方も、
出てくるようになりました。

「ためまっぷプロジェクト」スタッフで、
デザイナーと子育てをされている田中尚美さんは、

まちづくり市民交流プラザでチラシを見つけたときには、
もう申し込み〆切を過ぎていた。

そんな経験から、
「ためまっぷプロジェクト」のコンセプトに賛同して、
チラシ作成などを、今も積極的に手伝ってくれています。

また、安田女子大学の先生も
自身の教育系ワークショップで紹介の時間をくださり、
参加していた学生たちが共感して、

私たちのコンセプトに、
「ためまっぷ」という名前をつけてくれました。

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